金沢区発ボラバス-5 ― 2013/09/28 00:38
志津川中学校を後に、町の中枢が移転したベイサイド
アリーナへ向かいます。
南三陸町役場や診療所、図書館などがあります。
南三陸町災害ボランティアセンター、
ここでは猪又隆弘さんが震災発生時から今迄のことを
1時間以上お話しされました。
猪又さんは南三陸町社会福祉協議会事務局長、
宮城県南三陸町出身53歳、1980年旧志津川(現・南三陸)
社会福祉協議会の職員に、2009年4月から総務課長、
震災後は災害ボランティアセンター長も併任、町役場の
総務課職員だった妻・美智恵さん(当時47歳)は津波に
のまれ現在も行方不明、
全国から集まるボランティアたちと復興に向け南三陸町
災害ボランティアセンターの指揮を執っています。
実体験から出てくる言葉にはリーダーとしての決断力が
垣間見えてきます。いかにして未曾有の被害を受けた
南三陸町を再生していくか、
機会があればまたお話を聞いてみたいと思いました。
お昼が近くなりボランティアセンターを後にし
「みなさん館」に戻りました。
LSAの方々が昼食の用意をしてくれました。
大きなサンマ、脂がのってとても美味しかった。
ホタテもたくさん、イカも焼いてくれました。
お腹一杯昼食を頂きました、1時を回りそろそろ現地を
離れる時間です。「南三陸さんさん商店街」に向かう
途中でもたくさんのボランティアが活動していました。
「南三陸さんさん商店街」に到着、
チリ共和国イースター島から寄贈されモアイ像、
さんさん商店街の中心、ここは賑やかで活気があります。
入口の横に「(有)わたや」さんという衣料品・クリーニング
のお店があります。何気なく入ると復興のTシャツや雑貨も
置いてありました、店の女性に「今月は復興市はないの
ですか?」と聞くと9月、10月はないそうです。
話をしていると額に入った写真を見せてくれました、海の
近くで洋品店を経営されていたそうで今はないお店を
撮った貴重な写真でした。商売は変わりましたがお店に
来る人から元気をもらっていると話してくれました。
少し高台にある住宅のすぐ下まで津波が来たそうです。
今は雑草が生えてきて「やっと塩気がなくなってきたの
かも」と女性は言っていました。
店内に小百合さんのポスターがありました、とっても力に
なっていると、撮影当日は小百合さんが来るその日まで
知らなかったそうです。
話が長くなり「(有)わたや」さんで買い物ができません
でした。(*_ _)人ゴメンナサイ
写真・スタジオを経営されているお店の前に南三陸の
大きなパネル写真があり撮らせてもらいました。
2日間の南三陸町訪問でしたが初めて被災地を自分の
眼でみてこの先どれだけのエネルギーが必要か、気が遠く
なるような現状、「一日も早く復興を」など簡単には口に
出すことができません。
それでもいつかは写真のように「キラリと輝く町」になって
欲しいと願うばかり、これからも応援していきます。
LSAのみなさん、ドライバーさんお世話になりました。
ありがとうございました。
※南三陸さんさん商店街
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南三陸町災害ボランティアセンター、
ここでは猪又隆弘さんが震災発生時から今迄のことを
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猪又さんは南三陸町社会福祉協議会事務局長、
宮城県南三陸町出身53歳、1980年旧志津川(現・南三陸)
社会福祉協議会の職員に、2009年4月から総務課長、
震災後は災害ボランティアセンター長も併任、町役場の
総務課職員だった妻・美智恵さん(当時47歳)は津波に
のまれ現在も行方不明、
全国から集まるボランティアたちと復興に向け南三陸町
災害ボランティアセンターの指揮を執っています。
実体験から出てくる言葉にはリーダーとしての決断力が
垣間見えてきます。いかにして未曾有の被害を受けた
南三陸町を再生していくか、
機会があればまたお話を聞いてみたいと思いました。
お昼が近くなりボランティアセンターを後にし
「みなさん館」に戻りました。
LSAの方々が昼食の用意をしてくれました。
大きなサンマ、脂がのってとても美味しかった。
ホタテもたくさん、イカも焼いてくれました。
お腹一杯昼食を頂きました、1時を回りそろそろ現地を
離れる時間です。「南三陸さんさん商店街」に向かう
途中でもたくさんのボランティアが活動していました。
「南三陸さんさん商店街」に到着、
チリ共和国イースター島から寄贈されモアイ像、
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入口の横に「(有)わたや」さんという衣料品・クリーニング
のお店があります。何気なく入ると復興のTシャツや雑貨も
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ですか?」と聞くと9月、10月はないそうです。
話をしていると額に入った写真を見せてくれました、海の
近くで洋品店を経営されていたそうで今はないお店を
撮った貴重な写真でした。商売は変わりましたがお店に
来る人から元気をもらっていると話してくれました。
少し高台にある住宅のすぐ下まで津波が来たそうです。
今は雑草が生えてきて「やっと塩気がなくなってきたの
かも」と女性は言っていました。
店内に小百合さんのポスターがありました、とっても力に
なっていると、撮影当日は小百合さんが来るその日まで
知らなかったそうです。
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眼でみてこの先どれだけのエネルギーが必要か、気が遠く
なるような現状、「一日も早く復興を」など簡単には口に
出すことができません。
それでもいつかは写真のように「キラリと輝く町」になって
欲しいと願うばかり、これからも応援していきます。
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