金沢区発ボラバス-42013/09/27 12:21

防災対策庁舎
民宿「清観荘」を後に南三陸町の防災対策庁舎へ、
時間は午前9時、

防災対策庁舎被災の様子を聞くボラバスのメンバー、
被災の様子を聞くボラバスのメンバー

3階建て庁舎屋上を2mも上回る約12メートルの大津波が
襲い42人の方が犠牲になりました。
※津波の高さから見た南三陸町 防災対策庁舎内部
約12メートルの大津波が

1階外付け階段、
1階外付け階段

2階外付け階段、
2階外付け階段

庁舎正面には祭壇が設けられ線香を手向ける人が
絶えませんでした。
祭壇が設けられ線香を手向ける人が

直線で北へ約1Km離れた高台の志津川中学校へ、

広いグラウンドには仮設住宅が建てらていました。
グラウンドには仮設住宅が建てらていました

穏やかな志津川湾が見えています、
湾から続く道は国道398号線、
穏やかな志津川湾が見えています

志津川中学校から見えた6年前の風景、一望できる場所に
大きなパネルが掲示されていました。
秋の澄んだ空と活気があった南三陸の町が撮られています。
志津川中学校から見えた6年前の風景

防災対策庁舎、高野会館、ホテル観洋がみえています。
防災対策庁舎、高野会館、ホテル観洋が

気仙沼線「志津川駅」の辺りでしょうか、
気仙沼線「志津川駅」の辺りでしょうか

26日解体が決まった防災対策庁舎、約12mもある
大津波が3階建ての庁舎をのみこみました。
防災対策庁舎を多くの人が訪れていますが被災体験を
された方にとって残っているのはつらいことでしょう。
※震災遺構か、解体か…防災対策庁舎
解体が決まった防災対策庁舎

4階建ての高野会館、その先はホテル観洋、
4階建ての高野会館、その先はホテル観洋

防災対策庁舎の下に立ち、見上げるほどの高さまで
津波が来たことがこの場所に来て、防災対策庁舎をみて
実感しました。
震災の遺構としては後世に伝える重要な役割を持った
庁舎だと個人的には思います。保存の経費について国の
支援が得られず工面できないと佐藤仁南三陸町長は
会見で話されていましたがとても残念なことです。
※南三陸町

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