続・葬儀で山梨へ2018/10/31 00:42

続・葬儀で山梨へ
昨日の朝、西の山が朝焼けに染まっています。

親戚で花をよく手入れされていて今はきれいに咲いている菊を
何枚かスマホで撮らせてもらいました。その写真を載せながら
少し葬儀のことを紹介させてもらいます。
きれいに咲いている菊

亡くなられたのは叔父さん、昭和10年生まれで84歳でした。
昭和37年修行し短期間でのれん分けの蕎麦店を開店された
そうです。
亡くなられたのは叔父さん

以後平成22年にお店を閉めるまでの48年間ご夫婦で頑張って
来られました。
48年間ご夫婦で頑張って

何度かお蕎麦をいただきました。いつもご馳走になってばかり
でした。野球が好きで巨人の山梨出身堀内投手の写真も飾られ
ていました。
いつもご馳走になってばかり

飾らない人柄で誰からも愛されていました。斎場には子供さん
の誕生された時、家族に囲まれて幸せいっぱいの写真やお孫さん
が中学生の時に厨房での仕事ぶりを描かれた絵もありました。
飾らない人柄で誰からも愛されていました

斎場には地元の水彩画家一瀬喜代司さんが商店街を描いた作品
の一つで「文教通り」が展示されていて叔父さんのお店も描かれ
ていました。

昭和10年に生まれ戦争もあった苦しい時代から日本が高度成長
の時代、平成と年号が変わり30年、84歳の人生を全うされました。
 合掌
※JA西八代だより

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コメント

_ 甲斐の国 ― 2018/10/31 20:05

綺麗に写真を載せていただき、ありがとうございます。
地域の皆さんにとても慕われていたおじさんでしたね。
自分のお店の都合より、お客様に美味しい状態でそばを味わってもらう事への想いというか良い意味でのこだわりがあり、とても美味しいそばでした。感謝と共にご冥福をお祈りします。

_ hide ― 2018/10/31 22:53

甲斐の国さん
こんばんは、「文教通り」にあるお蕎麦屋さんが思い出されま
す。元気なころバイクの乗って配達する姿、独特な話し方も
耳に残っています。そして何よりも優しい笑顔が一番でした。

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