江姫ゆかりの近江路を行く vol.+12010/10/28 11:24

江姫ゆかりの近江路を行く vol.+1
ブログ旅行記は8回にわたりUPしました。
滋賀県観光交流局へも遅れてしまいましたが
レポートを提出、交通費の請求も先日済ませ
ほっとしている所です。

写真もデジタルですからたくさん撮りました、
最後の米原駅での新幹線時刻表のNo.は
「641」枚になっていました。

失敗している写真も多くありますがまあ々
見れる写真もあります。

私がお世話になっている
「六浦南コミュニティハウス」は小学校に併設
されていて南小学校とともに今年開設20周年
を迎えます。

※区民利用施設 六浦南コミュニティハウス

コミュニティハウスでは特に改まってイベントを
する訳ではありませんが毎年「文化祭」を開催、
今週末30日(土)、31日(日)に行われます。
今回は若干スペースが空いているという事で
「近江路旅行の写真や小物、パンフ等」を展示
できることになりました。

近江路旅行の写真や小物

部屋に展示イメージとして並べ写真を撮りました。
掲示する写真にはタイトルをつけて内容を判り易く
してみました。

原作も再度借りて読み返してみました。

原作も再度借りて読み返してみました

「六浦南コミュニティハウス」は山の上にあり
駅からは循環バスが出ていますが地域の人の
利用がほとんどです。
この週末は台風14号の進路次第では関東地方
にも影響が心配されています。
それてくれるといいのですが。

※近江路・歴女ブロガー旅紀行

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江姫ゆかりの近江路を行く vol.8 安土城跡~彦根城~帰路2010/10/25 10:36

彦根城訪問
安土城跡から彦根城までは約20Kmほど、
最後の訪問地に到着。
※彦根城のご案内 - (社)彦根観光協会

彦根城の東に位置する「二の丸駐車場」に
車を置き「表門橋」を渡ります。

「表門橋」を渡ります
「表門橋」を渡ったところ

左は彦根城管理事務所、

左は彦根城管理事務所

彦根城博物館、ひこにゃんの登場時間が
書いてありました。


彦根城博物館前

管理事務所を左に入ると表門参道の
石段が続きます。

表門参道、上からの写真

左の石垣に造られてあるのが
「天秤櫓」(重要文化財)、橋を中央にして
建てられて天秤のような形をしています。

「天秤櫓」(重要文化財)

「時報鐘」へ続く石積みは緩やかです。

石積みは緩やかです

「太鼓門櫓」(たいこもんやぐら)本丸への
最後の関門である太鼓門櫓は、東側の壁が
無く柱の間に高欄をつけ廊下にしています。

「太鼓門櫓」(たいこもんやぐら)

国宝彦根城天守は北西に附櫓(つけやぐら)が、
さらに長い多聞櫓が連なり、破風は変化に
富んでいます。

国宝「彦根城天主」

彦根城の内部、鉄砲狭間や矢狭間などが
みえます。

彦根城の内部、鉄砲狭間や矢狭間など

梁などが入り組んで組まれています。

梁などが入り組んでいます

天守へ上がる階段、傾斜が62度もあるので
スタッフの方が下に常駐していました。

天守へ上がる階段、傾斜が62度もある

天守から東の方角にある「佐和口多聞櫓」、
お堀の奥は「彦根キャッスルホテル」。

お堀の奥は「彦根キャッスルホテル」

彦根城は慶長9年(1604)より着工され
約20年の歳月をかけて完成しています。
天守閣は大津城より、櫓なども近隣の城の
一部を移築しているそうです。

天守を後に大手門に下りて行きます。

お土産を買う為「夢京橋キャッスルロード」へ
立ち寄ってみました。
※OLD NEW TOWN 夢京橋キャッスルロード

「夢京橋キャッスルロード」

天主から見えた「キャッスルホテル」横の
どら焼き専門店「虎てつ」で
「ひこにゃんドラ焼き」を購入。


「ひこにゃんドラ焼き」

「キャッスルホテル」の彦根みやげ本陣で
会えなかった「ひこにゃん」を手にいれました。
※ひこにゃん公式サイト - 彦根市

「ひこにゃん」を手にいれました

5時を回り帰りの時間が近くなってきました。
トヨタレンタ米原店に戻ることに、彦根からは
7Kmほどあります。
※トヨタレンタリース滋賀

事故もなく無事に「ヴィッツ」を返しました、
燃費も良くガソリン代も安くて助かりました。
たくさん「江姫ゆかりの地」を周る事ができました。
2日間ありがとうございました。<(_ _*)> アリガトォ


米原18時28分発、「こだま678号」に乗ります

米原18時28分発、「こだま678号」に乗り名古屋で
「のぞみ」に乗り換え帰宅の途につきました。

「のぞみ」に乗り換え帰宅の途に

滋賀県観光交流局のお陰で「江姫ゆかりの地」を
自分なりに選定、レンタカーで周るコースを計画し
近江の旅を満喫できました。
ハプニングや地元の人とのふれあいもあって
本当に楽しい旅行でした。(*^-^)ニコ


来年の大河ドラマが楽しみです、
近江に旅する人が増える事を願っています。
このような機会を頂きありがとうございました。

※江 姫たちの戦国

今後も江姫に関係する内容を折をみて載せて
いきたいと思っています。アリガト♪(*'-^)-☆

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江姫ゆかりの近江路を行く vol.7 百済寺~安土城跡2010/10/24 06:35

安土城大手道
百済寺から安土城跡までは22Km、
途中「近江商人屋敷」がありましたが時間が
ないので寄らずに安土城跡を目指しました。

彦根城「ひこにゃん」の登場は午後3時半まで、
安土城跡に上ってから彦根城まで行くには
時間的に無理なようなので諦めました。

2時過ぎに到着、「安土城跡」と刻まれた大きな
石柱と案内がありました。
※安土町観光協会

「安土城跡」の石柱
「安土城跡」案内

駐車場に車を置き平坦な所を歩いて行きます。

駐車場に車を置き少し歩いて行きます

この辺りも石垣がたくさん残っています、
天正4年(1576年)織田信長は丹羽長秀を
総普請奉行に据え、標高199mの安土山に
築城工事を開始します。

江姫が元亀4年(1573年)生まれなので
3歳の時でした。

その3年後、天正7年(1579年)には天守閣
(天主閣)をもつ安土城が一応の完成をみます。
原作でもこの時にお市の方と三姉妹が
竣工祝いに安土城へ出向くくだりがあります。

三姉妹の上の二人は父の仇でもある
伯父、信長を嫌っている様子ですが江姫は
仇であることを知らずに育ってきました。
城のそばまで先に走って来た三姉妹は
城警備の侍たちに足止めをされます。
そこへお市の方が馬に乗って現れます。
侍たちを一蹴し驚いている江姫をお市の方は
馬に引き上げます。


受付を通ると目の前には幾重にも積んだ石段の
安土城大手道が迫ってきます。

安土城大手道が迫ってきます

急な石段なので杖も置いてありました。

少し上がった所から

左に伝羽柴秀吉邸跡、もう一段高い所にも
秀吉邸跡があります。

伝羽柴秀吉邸跡

右には伝徳川家康邸跡、鐘楼もみえます。

伝徳川家康邸跡
鐘楼もみえます

大分上がってきました。

大分上がってきました

よくこれだけの石を積み上げ城を築いたものだと
驚くばかりです。

よくこれだけの石を積み上げたものです

この辺りは左右に石段を曲がりながら上がって
行きます。

左右に石段を曲がり上がって行きます

石仏が所々に見られました。

石仏が所々に見られました

大手道の上まで来ると年配の女性が二人休んで
いたので少しお話を伺いました。
お二人は「安土城跡」の掃除をされているようで、
「ボランティアですか?」とお尋ねすると
そうではなくいくらか報酬はあるようでした。
安土の方ではなく東近江から来られているようです。


年配の女性が二人が休んでいました

「昔はすぐに湖が見えたんですよ」と干拓事業で
埋め立てる前は安土城の辺りは半島のように湖に
つき出ていたそうです。

※水土里ネット-琵琶湖干拓小中之湖土地改良区

確か原作にも安土城や天主閣に上がった三姉妹が
眼下に広がる湖の先の小谷の方角に手を合わせる
シーンがあったと思います。


お仕事で休んでいる所邪魔をしてしまいました。('-'*)

天守、本丸跡に上がります。

天守、本丸跡に上がります
天守、本丸跡に上がります

黒金門跡

黒金門跡

「安土城跡」には檜が多いようです、
こみすぎているので伐採しているのでしょう。

「安土城跡」には檜が多いようです

仏足石(室町時代中期)

仏足石(室町時代中期)

織田信長公本廟、二の丸跡

織田信長公本廟、二の丸跡
織田信長公本廟、二の丸跡

重臣、羽柴秀吉は天正11年(1583年)6月、
信長一周忌に織田一族や家臣を集め盛大に
法要を行いました。

織田信長公本廟

本丸跡

本丸跡

天主台跡へ

天主台跡へ

天主台跡

天主台跡

安土城天主台跡

安土城天主台跡

五層七階の天主がここにそびえていました。

安土城天主台跡案内

ひと時想いに浸りました。

天主台跡から下りてくると先ほどの二人の方が
石段の雑草を取ったり掃除をされていました。
お城を守ってくれているのですね、
ありがとうございます。('-'*)アリガト♪


掃除をされていました
ありがとうございます

元摠見寺(そうけんじ)をまわり帰路へ、

元摠見寺(そうけんじ)をまわり帰路へ

元摠見寺本堂跡

元摠見寺本堂跡

西の湖方面

西の湖方面

三重塔、室町時代の建物

三重塔、室町時代の建物

二王門

二王門

二王門案内

二王門案内

原作では江姫とお市の方はこの「二王門」側から
城へ上がっています。


「二王門」からの「三重塔」への石段

今から431年前、6歳であった江姫がお市の方と
安土城を上って行った光景が見えてくるようです。


安土城を上る光景が見えてくるようです

「安土城跡」を一回りして受付まで戻ってきました。
時計は3時を回っています、「信長の館」などにも
行ってみたかったのですが帰りの時間もあるので
仕方がありません。

これから最後の訪問地「彦根城」までは20Kmほど。
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江姫ゆかりの近江路を行く vol.6 湖東三山 西明寺~金剛輪寺~百済寺2010/10/22 10:17

湖東三山・金剛輪寺
多賀大社を後にここから約6Kmの
「西明寺」向かいます。

名神高速に架かる橋を渡り車で裏参道の
本坊前の駐車場まで来ました。
※西明寺

湖東三山は「滋賀県観光交流局」発行の
パスで拝観料は無料になります。

※近江路・歴女ブロガー旅紀行 参加者募集

滋賀県観光交流局発行のパス

湖東三山はいずれも「天台宗」のお寺で
織田信長ら配下の手により焼き討ちにあい
その中でも西明寺は残った建物が比較的
多いそうです。

西明寺の文化財

庭園の入口には立派な紅葉が。

庭園の入口には立派な紅葉

受付を通り二天門(重要文化財)に向かう石段。

二天門(重要文化財)に向かう石段

二天門は室町時代の建築、
右の杉は樹齢約1000年の「夫婦杉」。

右の杉は樹齢約1000年の「夫婦杉」

境内からの二天門、
柿葺き(こけらぶき)の八脚門。

境内からの二天門

本堂、国宝第一号指定の天台宗の寺院、
本尊は「薬師如来」。

本堂、国宝第一号指定

堂内に入るとガイドの方が丁寧に案内を
してくれました。
ご本尊「薬師如来」は時の住職が一度しか
公開できないそうで現在は既に公開されて
いるので見る事は出来ないそうです。

ガイドの方から丁寧に案内されました

三重の塔、鎌倉時代後期建立、
釘が1本も使われていないそうです。

三重の塔、鎌倉時代後期建立

特別公開が11月6日(土)~11月30日(木)の
間行われます。

「三重の塔」特別公開11月6日(土)~11月30日(木)

名勝庭園 蓬莱庭の案内

名勝庭園 蓬莱庭の案内

江戸時代初期延宝年間に作られたそうです、
木々が色ずいたら見事でしょう。

江戸時代初期延宝年間に作られたそうです

次は約4Km離れた金剛輪寺に向かいます。

黒門の提灯を見ると「金剛輪寺」と
書かれています。
※天台宗 金剛輪寺

提灯の寺側には「金剛輪寺」とあります

石畳の参道を行くと受付があり
「ブロガーは2人目です」と言われました。

石畳の参道

ご住職からと寺の詳しい案内を頂き、
その中には絵葉書が3枚添えられていました。
絵葉書の写真はご住職が撮られたものです。

絵葉書の写真はご住職が撮影

本坊明寿院の山門。

本坊明寿院の山門

本堂への入口、300mとあります。

本堂への入口、300mとあります

本堂へ続く参道の両脇には
小さなお地蔵様が並んでいます。

小さなお地蔵様が並んでいます

参道の中ほどまで来ると右側の平らな
一画にお地蔵様がたくさん並んでいました。
受付の女性に聞くと約2000体ものお地蔵様
になるそうです。

平らな一画にお地蔵様がたくさん

ようやく二天門が見えてきました。

二天門が見えてきました

二天門の両脇には奉納された
大きな「わらじ」が掛けられています。

大きな「わらじ」が掛けられています

「大わらじ」の中に光るものが見えます、
お賽銭が詰め込まれていました。

お賽銭が詰め込まれていました

金剛輪寺の本堂、弘安11年(1288)建立も
国宝に指定されています。

金剛輪寺の本堂、弘安11年(1288)建立

本堂参拝は正面左側からとなります。

参拝は正面左側から

日本最古の「大黒天」は茶室水雲閣に接する
護摩堂に安置してあり
11月1日(月)~12月5日((日)まで特別公開
されます。

鐘楼

鐘楼

少し上には「三重塔」、こちらは重要文化財と
なっています。寛元4年(1246)で国宝の本堂
より40年余り先に建立。

「三重塔」、重要文化財

金剛輪寺の庭園は時間がなく見る事が
できませんでした、名勝庭園として国の指定を
受けています。

残る一つ、ここから約10Km先の
百済寺に向かいます。

湖東三山の中では最も歴史があり創建は
推古天皇14年(606年)10月21日で1604年も
前になります。
※天台宗 湖東三山 釈迦山 百済寺

湖東三山の中では最も歴史があります

受付を入りご住職から詳しい百済寺の
資料を頂きました。

百済寺の資料を頂きました

百済寺三百坊跡図

百済寺三百坊跡図

百済寺案内

百済寺案内

受付から入った境内。

受付から入った境内

参道の石段。

参道の石段

仁王門、今月3日、8年ぶりに「大わらじ」が
作り直されました。

8年ぶりに作り直された「大わらじ」

10月14日(木)京都新聞に百済寺の「大わらじ」
新調記事が出ていました。

10月14日(木)付、京都新聞記事

本堂側から見た仁王門。

本堂側から見た仁王門

百済寺本堂、金剛輪寺・西明寺の本堂よりも
一回り小さいそうです。

百済寺「本堂」
金剛輪寺・西明寺の本堂よりも小さいそうです

鐘楼、鐘を撞ける所は少ないのですが
百済寺OKです。ついてみましたが遠くまで
響くような大きな鐘の音でした。

鐘楼、撞くことができます

ここにも立派な庭園がありました。

立派な庭園がありました

湖東三山巡りを終えて時間があれば
「永源寺」や「太郎坊宮」も周りたかったの
ですがやはり時間的に無理でした。
ここから22Km先の安土城へ向かいます。
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江姫ゆかりの近江路を行く vol.5 浜湖月~彦根・龍潭寺~多賀大社2010/10/21 10:00

彦根・多賀大社
一晩お世話になった「浜湖月」を後に彦根へ、
石田三成の居城であった佐和山城跡へナビを
設定し車を走らせてきました。
山頂までは約3.2Kmとあり上っていては
湖東三山を周れなくなるので残念ですが
中止にしました。


佐和山城跡・登り口
佐和山城跡案内

駐車場の前には「龍潭寺」(りょうたんじ)があり
その手前には「清涼寺」と井伊家累代の菩提寺が
あります。
どちらも立派なお寺で「清涼寺」は関ヶ原で幟が
たっていた三成の家臣、島左近邸跡に建立され
たと言われています。
佐和山城跡はあきらめましたが二つのお寺に
立ち寄ってみることにしました。

まずは「清涼寺」に、ここは大老直弼が参禅修行
した寺としても知られています。

「清涼寺」正面

広い境内です、立派な本殿。

立派な本殿

こちらは庫裡、寺院の僧侶の居住する
場所の事です。

庫裡、寺院の僧侶の居住する場所

次は「龍潭寺」へ、正面の入口から中へは
工事中でした。

横に小道があり少し行くと左の木々の中に
「石田三成」の像が建っていました。

「石田三成」の像

山門

山門

鐘楼

鐘楼

「龍潭寺」の案内

「龍潭寺」の案内

山門を入ると右側には七福神が並んでいます。

七福神

大洞観音堂

大洞観音堂

お参りをして駐車場へ戻ると今来たお寺の方
から「すいませ~ん」と呼ぶ声が、
女性が私を呼んでいるようで見ると乗ってきた
軽自動車がパンクしたようです。
これはまずい、と思いながら呼んでいるので
近寄ると右後輪が完全に空気がなくなって
ペッチャンコ。

頼まれるとほっておけない性分で先を急ぐ所
ですが手伝うことになりました。
女性がジャッキ、スペアタイヤを出している間に
私はタイヤのナットを緩めました。

ジャッキを上げてタイヤを外しスペアと交換、
ナットを締めて10分ほどで終了。

女性は長浜から来たと、私もそうです、急いで
いる様でお礼を言って走って行きました。

人助けだからまあ仕方ないと手を見ると
真っ黒でした。

ちょっと時間をつぶしてしまいました。
次は「多賀大社」へ向かいます。
ここからは約9Km走ります。

近江の旅の一週間前にNHKのお昼の番組で
多賀大社が中継されていました。
古くから「お多賀さん」の名で親しまれた滋賀県
第一の大社で湖東三山の通り道でもあるので
立寄ってみました。

※多賀大社

お寺の前に5台ほどの駐車場がありました、
直ぐ横には「絵馬通り」、」笑門」と書かれた
大きな鳥居が建てられていました。


鳥居には「笑門」「絵馬通り」

表参道、絵馬通り、門前街の風情が歴史を
感じさせます。


表参道、絵馬通り、門前街の風情

多賀大社入口、延命長寿・縁結びの神として
古くから全国的な信仰を集めています。


多賀大社

多賀大社境内図

多賀大社境内図

多賀大社の概略

多賀大社の概略

太閤橋、石の反り橋を渡ってきました。

「太閤橋」、石の反り橋

堂々とした風格の本殿。

堂々とした風格の本殿
拝殿の見事な屋根

立派な拝殿、延命のご利益があるという
お多賀杓子もみえます。


拝殿、お多賀杓子もみえます

お守りなどの授与所

お守りなどの授与所

神馬舎

神馬舎

国歌にもでてくる「さざれ石」の由来

さざれ石の由来

お参りをすませ多賀大社入口前の
土産物屋さんで多賀名物の「糸切餅」を購入。


多賀名物の「糸切餅」

もう一つ欲しいものがあるので尋ねてみました、
絵馬の「笑門」はありますか?

テレビで中継していたので私も初めて「笑門」の
存在を知りました。
お店の方はあいにく品切れですと。

せっかく遠方から来て立ち寄ったのに・・・
どこのお店にも無いようです。(ノ_・。)

年末までには入るので送ることもできますと
言ってました。

あきらめようとしましたがサンライズ出版から
頂いた「滋賀観光ガイドブック」で観光協会を
探しダメもとで電話を掛けてみました。
※サンライズ出版

「滋賀観光ガイドブック」サンライズ出版

女性の方が出てやはり在庫はないようですと
「横浜から来ています、どこかにありませんか」と
無理を言うと男性と代わり
「少し大きサイズで良ければあります」と、
ヤッター!!


「どこに行けばよいでしょうか」
「国道の交差点を右折して少し行った右に
多賀大社の大きな駐車場あります、入口に
観光協会があります」、
車を止めた所は駐車代としていくらか気持ちを
入れる箱がありましたがそんなことは忘れ車を
走らせていました。(*_ _)人ゴメンナサイ


多賀大社の駐車場と観光協会の建物もすぐに
判り、中に入ると先ほど電話の男性が一回り
大きいサイズの「笑門」を出してくれました。
本当は3500円だそうですが遠方から来た事も
あり3000円にしてもらえました。


一回り大きいサイズの「笑門」

滋賀県観光交流局募集のブロガーで近江を
旅行中ですと伝えると、多賀町にもマスコット
キャラの「たがゆいちゃん」がいますと名刺を
頂きました。

※観光地情報 - 多賀町観光協会

多賀町マスコットキャラ「たがゆいちゃん」

大きいサイズの「笑門」は立派です、
「多賀大社ご祈祷済み」と書かれていました。


これから湖東三山の最初は「西明寺」へ
向かいます。
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江姫ゆかりの近江路を行く vol.4 浜湖月~長浜市内2010/10/19 10:36

豊公園内・長浜城
2日目の朝、目が早く覚めてしまいました。
朝食の時間までは時間があるので長浜市内を
見学することにしました。

北陸本線「長浜駅」前に着きました、
「浜湖月」からは約1Km弱。

朝早い時間の北陸本線・長浜駅

秀吉と石田三成の「出会いの像」があります、
「三献の茶」の話は有名なのですね。

長浜駅前、秀吉と石田三成の「出会いの像」
長浜駅前、秀吉と石田三成の「出会いの像」

真言宗大谷派の別院「大通寺」へ、
「ながはま御坊表参道」も時間が早いので
人通りはありません。
※大通寺

「ながはま御坊表参道」

大通寺山門、総欅造りの大きな山門です。
天保12年(1841年)の建立。

大通寺山門

早い時間でしたが本堂へも入れる時間で中に
入ると女性の方(お寺の関係者?)が一人お参りを
されていました。
伏見城の遺構と伝えられる大広間や丸山応挙や
狩野山楽らの襖絵などが見どころです。

境内は広く本堂にはお参りの人も

大手門通りに飾られていた「連獅子」
※長浜観光協会 秀吉の作ったまち

大手門通り

近江と北陸を結ぶ重要な街道「北国街道」、
昔の街並みが残っています。

近江と北陸を結ぶ重要な街道「北国街道」
「北国街道」案内

駅の北にある「豊国神社」、慶長三年(1598年)
秀吉が亡くなった後に町民が建立、
一度取り壊されたが再建されました。
※近江長浜:六瓢箪めぐり

駅の北にある「豊国神社」
「豊国神社」案内

豊公園内の長浜城へ、朝陽をあびてきれいに
みえます。

豊公園内の長浜城

「長浜城天守閣跡」、ここにも秀吉の像がありました。

長浜城天守閣跡

湖のほとりに来ると長浜城築城の時に秀吉が
掘らせた「太閤井戸」がありました。、
長浜城の往時を思い起こさせる数少ない遺構です。

長浜城築城の「太閤井戸」

食事の時間も近くなりました、宿に戻ります。

1階の食堂入口に大きな「ひこにゃん」
置いてありました。

食堂入口に大きな「ひこにゃん」

朝食です、写真の通り盛りだくさんでした。

朝食です、盛りだくさんでした

隣のテーブルで食事をとっていた女性は
娘さんとお母さんの親子連れ。
東京から来て一昨日は京都に泊まり
「平城遷都1300年祭」へ行かれたそうです。
昨日は彦根城などを訪れて「浜湖月」に宿泊、
今日は竹生島へ行くそうです。
親子で仲良く旅行が出来るなんて本当に
いいですね。


食事の後はロビーでコーヒーのサービスも
ありました。

食事の後、コーヒーのサービス

お土産で頂いた巾着、中がビニールなので
濡れたものでも大丈夫。

お土産で頂いた巾着

忘れものが無いか部屋をチェック、
フロントに鍵を返します、
会計はないのですがビールを飲んでいた事を
忘れていました。(*'-'*)エヘヘ
本当は支払いをしなくてはいけませんが
サービスですと言ってくれました。
ご馳走様でした。('-'*)アリガト♪


玄関に出ると会長さんが掃除をされていました、
お年を伺ったら「81歳」との事、掃除の手を休め
見送りをして頂きありがとうございました。
お元気です。(=^ー^)ノ彡☆゜・。・゜★サヨナラ


長浜から15Km、彦根の佐和山城跡に向かいます。
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江姫ゆかりの近江路を行く vol.3 賤ヶ岳~湖岸道路夕日~浜湖月泊2010/10/18 10:05

七本槍古戦場 賤ヶ岳
小谷城跡を後にし14Km先の賤ヶ岳へ向かいます。
道を間違えて賤ヶ岳トンネルに入り戻ってきました。
ヴィッツのナビは正確ですが目的地に近くなると
案内を終了してしまいます。

坂を少し行くと駐車場に到着、4、5台車が
止まっていました。
4時少し前ですが山の陰でうす暗くなっています。

山の陰でうす暗くなっていました

リフト登り口には賤ヶ岳周辺の
大きな案内板がありました。

賤ヶ岳周辺の案内板

リフト乗り場の前にはお土産屋さんがあり
七本槍で名高い秀吉の若き小姓達の名が
書かれた幟が出ています。

七本槍で名高い秀吉の若き小姓達の名が

リフトは動いていませんでした。
5時までは営業していますがお客さんが
いない時は止めているようです。
※賤ヶ岳リフト

賤ヶ岳リフト

プリントしていた賤ヶ岳リフトのネット割引乗車券
[760円⇒690円(往復)]
で切符を買いリフトに
乗りました、山頂まで約6分の乗車になります。

リフトの終点に近づくと段々と明るくなってきました。
山頂は夕日がまだ充分残っているようです。

到着しました、「山頂展望台まで300m」の
標識が出ています。

山頂展望台まで300m

ここの山道を上って行きます。

ここの山道を上って行きます

少し行くと琵琶湖の湖面が夕陽に照らされ
黄金色に輝いていました。

琵琶湖の湖面が黄金色に

途中には「賤ヶ岳合戦 戦没者霊地」の
石塔と社がありました。

半分くらい来たでしょうか
賤ヶ岳合戦 戦没者霊地

山頂展望台まで100mとあります、
あと少しです。

山頂展望台まで100m

山頂に到着、眼下に見えるのは
国道8号線、塩津街道「大音交差点」あたり。

眼下に見えるのは「大音交差点」あたり

賤ヶ岳の合戦の由来と合戦図。

賤ヶ岳合戦の由来
賤ヶ岳合戦図

合戦400年を記念して造られたという
槍を持った武者像。

槍を持った武者像

北には余呉湖がみえます。

北には余呉湖

風が強く吹いています、427年前には秀吉と勝家が
幾千万の兵を率いて戦った場所、
今は私一人しかいません、静かな時間が流れて
いました。

賤ヶ岳合戦の時、江姫は10才、戦いに敗れた勝家と
母お市の方はともに自刃、
三姉妹は秀吉に引き取られる事になります。


陽も西に傾きリフトで降り長浜の宿「浜湖月」に
向かいます、ここから長浜までは約20Kmほど。

夕焼けに染まる西の空を見ながら湖岸道路を
行くと竹生島が見えてきました。


夕日に染まる西の空、竹生島が見えてきました

「道の駅湖北みずどりステーション」では夕日が
建物に当たりきれいでした。

※道の駅 湖北みずどりステーション 【滋賀県】

「道の駅湖北みずどりステーション」

たくさん巡ってきたので今日の宿「浜湖月」に
着いたのは5時半を過ぎていました。
関東から比べるといくらか日の入りが遅いのでしょう。
※滋賀県 長浜太閤温泉 浜湖月

「浜湖月」全景

車を停めて荷物を持って宿へ歩を進めると
年配の男性が近くにきて「お泊りですか」と
バッグを持ってくれました。
後で聞いたら「浜湖月」の会長さんとの事でした。


「浜湖月」

湖月橋だったでしょうか?入口です。

湖月橋だったでしょうか?入口です

玄関には「江姫たちの戦国」の幟旗が。

玄関には「江姫たちの戦国」の幟旗が

「橋田寿賀子」さんのサインも飾ってありました。

「橋田寿賀子」さんのサイン

靴を脱いでフロントに、宿泊名簿を記入。

フロント

横にあるお土産売り場。

横にあるお土産売り場

館内は廊下も畳が敷かれエレベーター内も
同じでした。

館内は廊下にも畳が敷かれています
エレベーター内も畳が

2階の「漣」の部屋に案内されました、
ここも踏込から畳です。

踏込から畳

「漣」は10畳+掘りごたつ、露天風呂付の湖に面した
静かな落ち着ける部屋でした。

「漣」は10畳+掘りごたつ、露天風呂付でした
信楽焼 露天風呂

早速一日の疲れをとるため3階の大浴場へ、
最上階にある展望大浴場の長浜太閤温泉は、
鉄分を多く含んだ炭酸総鉄イオン泉で芯から
温まるため冬場でも湯冷めしにくいのが特長です。

食事は7時から、おいしそうな会席料理が
運ばれてきました。


おいしそうな会席料理
おいしそうな会席料理

お料理の説明をされても直ぐに忘れてしまうのは
年のせいでしょうか。

すきやき
近江牛

食事の時についてきたものです。
秀吉は政が大層好きで大勢を楽しませることに
たけていたようです。

浜湖月オリジナル

対応して頂いたお部屋の方にも色々とお話を伺い
ました、長浜は昔、蚊帳(カヤ)の産地だったとか、
部屋の隅には蚊帳を吊るす紐が天井から下がって
いました。
夏場は蚊帳を吊るすサービスがあるそうです。


デザート

最後に女将さんが挨拶に来られました、
江姫が小さい頃の記憶で自分の手に残っている
温もりが誰のものであったのか、


ずっと気になっていて、亡くなった父長政かと
思ったり、伯父信長かとも思い安土城で確かめる
くだりが原作にはあります。


女将さんは原作を読まれていてご存知でした。
温もりは地震で建物の下敷きになった時に
助けてくれた3人目の夫「秀忠」のものであることが
この時やっと判ることになります。
この辺りはドラマでどう表現され展開していくか
大変興味深い所です。


ゆったりとお風呂に入りおいしい食事も頂き
一日無事に終わることができました。
明日は湖東三山を訪ねる予定です。
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江姫ゆかりの近江路を行く vol.2 姉川古戦場~長浜支所~実宰院~小谷寺~小谷城跡2010/10/16 19:06

浅井長政家族の像
伊吹山を下り約30Km、
車を走らせ姉川古戦場に到着。
姉川の合戦は元亀元年(1570年6月28日旧暦)
織田・徳川連合vs浅井・朝倉連合の戦いでした。

姉川古戦場

浅井長政はこの3年後に亡くなり江姫は同年に
誕生しています。

姉川の合戦、周辺の歴史
姉川の合戦、周辺の歴史

この辺りの姉川は今でも川幅が広く
長い「野村橋」が掛かっています。

姉川に架かる「野村橋」

近江鉄道・観光レトロバス
「姉川古戦場」バス停がありました。

姉川古戦場

松尾芭蕉の晩年の門人で
木導(もくどう1666年~1723年)は彦根藩士、
作柄のよい麦を題材に詠んだ句が石碑に刻まれて
いました。

木導(もくどう)の句碑
木導(もくどう)の句碑

現在は長浜市になっていますが旧浅井町役場に
長政家族の像があるので行くことに、
ここからは約3Kmほど。
※ホーム - 長浜市役所

長浜市浅井支所

浅井支所に着きましたが像の場所が分からず
支所内で職員に訪ねました。
良く周りを見ればすぐ判るほど家族六人の大きな
像が支所駐車場の南側道路を挟んだ一段高い
場所にありました。

駐車場南側道路を挟んだ一段高い所に

お市の方が指さす方向には約4Km先の小谷城が。

指さす方向には小谷城
まだ小さな江姫の姿

この像は平成15年3月に造られています。

浅井長政家族

天正元年(1573年)9月、小谷城での長政は
信長の大軍により反撃の手段無く、
父の久政と共に自害、
お市の方と三姉妹は小谷城を後にします。

城を出たお市の方と三姉妹は平塚にある
「実宰院」に匿われます、浅井支所からは約3Km。

三姉妹を匿った実宰院

民家が周りにありちょっと判りにくい所でした。
由来にあるように村人が寂しかった三姉妹を
いたわり慰めたとあります。
(ノ△・。)

実宰院の由来

境内には栗の木があり大きな実が落ちていました。

境内には栗の木があり大きな実が落ちていました

目を閉じて耳を澄ますと境内で遊ぶ三姉妹の
声が聞こえてきそうな気がしました。


実宰院境内

ここから3Kmの小谷城のふもとには「小谷寺」が
あります。
※小谷寺-近江路観光ガイド(滋賀)

小谷寺

浅井の祈願寺と定め、お市や三姉妹にとっても
心のよりどころとなった場所でした。


三姉妹にも心のよりどころとなった場所

先に歴女ブロガーでここを訪れた方が何匹もの
サルに出あったと書かれていましたが私の時は
姿をあらわしませんでした。

この辺りにサルが出たようです

小谷城跡入口はすぐです、
新しい建物は「小谷城址ガイド館」です。
※観光ガイド(湖北町)

小谷城址ガイド館

山の中腹まで今は車で行くことができますが
段々と注目されてくると通行止めになるでしょう。

小谷城跡入口

車が何台か置いてありました。

車が何台か置いてありました

少し上がると大きな「小谷城跡案内図」が
建っています。

小谷城跡案内図

平日なので静かです、一人女性が下りてきました。

話を聞くと大阪からだそうです、
一人で怖くないですかと聞くと
「上にご夫婦と若い女性3人組がいますと」。

小谷城跡はブロガーが何人も訪れている場所です、
三姉妹の上の二人はこの小谷の山を駆け回ったり
したのでしょうか、想いを馳せながら上っていくと
すぐに番所跡がありました。

番所跡

お茶屋跡

お茶屋跡

南東に伊吹山が見えます。

南東に伊吹山が見えます

馬洗池・御馬屋

馬洗池・御馬屋

首据石、家臣の今井秀信が敵方に内通していて
反逆者として首をさらした石と伝えらえれています。

首据石

黒金門跡

黒金門跡

桜馬場

桜馬場と浅井家及び家臣の慰霊塔

大広間跡、ここで若い女性3人組に会い
「熊が出るから気を付けて下さい」と言われました。
ここにも黄色い「熊出没注意」のプレートがあり
丁度ここに来る前日あたり何県もで熊の出没が
報じられていました。


大広間跡

本丸跡の石垣

本丸跡の石垣

この辺りで年配のご夫婦と会いました。
もう少し先に行くか話をすると
「音の出るものは何も持っていないので
行かない方がいいでしょう」と。

山王丸まで410mの道しるべ

山王丸まで410mの道しるべ

御局屋敷跡

御局屋敷跡
御局屋敷跡

大堀切跡、残念ですがここで引き返す事にしました。
熊は怖いです、木に登っても駄目だそうです。

大堀切跡

下山途中ご夫婦に「どちらから来ましたか?」と
たずねると「川崎です」と、神奈川県の隣同士です。
カメラもニコンを使われていてレンズは一緒でした。

お話を聞くと車で来ているそうです。
そういえば車を止めた所に三菱の白い大きな
ワゴン車がありました。

神奈川県のご夫婦でした

ご主人は早期退職され
今はご夫婦で『全国フォト・キャラバン』をスタート
させ活動されているプロカメラマンの方でした。

※中山イーフォト

帰宅後ホームページでその活動内容を拝見しました。
今回の滋賀県観光交流局が主催している事業で
近江を旅していると話すとご夫婦に激励されました。

話をしながら車の所まで来ました、
お互いにカメラで写真を撮りあい後日メールで
送る約束をして別れました。

今日はあと1ヵ所、「賤ヶ岳」まで行く予定です。
※近江路・歴女ブロガー旅紀行

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江姫ゆかりの近江路を行く vol.1 京極家菩提寺~関ヶ原~伊吹山2010/10/15 14:33

関ヶ原合戦場
今年の夏に琵琶湖花火大会に関西に住む
親戚から招待を受け車で行ってきました。

あれから2ヵ月、
滋賀県観光交流局が主催する事業で
2011年NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』で
注目される近江を一足早く観光しブログにアップ
するという「歴女ブロガー」の募集があり当選者
50名の中に男でしたが選ばれました。


一昨日13日(水)、14日(木)と新幹線を利用し
行ってきました。
その様子をこれから何回かに分けてアップして
いきます。

2日間であっちもこっちも見たいという欲張りな
計画を立て、朝早い新横浜7:19発「のぞみ」で
近江へ向かいました。

新横浜7:19発「のぞみ」
新横浜7:19発「のぞみ」

天気も晴れ、
芝の増上寺(徳川家霊廟、江姫も眠る)お参りに
行った事も関係あるのでしょうか。('-'*)アリガト♪
※浄土宗大本山 増上寺

名古屋で「こだま」に乗り換え米原までは約30分、
9:15に到着。
改札を出ると警備がすごいのです、
新横でも私服の警官が目立ちましたが
それ以上に制服の警察官も大勢。

米原駅は東と西口があるのを知らずに改札を出て
流れで右の東口に間違って行ってしまいました。
そしたら広場に警察車両が何台も停まっています、
トヨタレンタの営業所など全く見えず間違ったことに
気が付きました。

改札を出て西口に行くのが正解でしたが階段があり
右の東口行ってしまいました。
物々しい警備は後で伊吹山で判ることになります。

駅から5分ほどの米原駅西口交差点前に
トヨタレンタさんはありました。
※トヨタレンタリース滋賀

トヨタレンタ米原駅前店

営業所内に入ると元気な若いお嬢さんが
応対してくれました。(*^-^)ニコ

トヨタレンタ米原駅前店、元気なNさん

歴女ブロガーのうち他の方もトヨタレンタ米原店を
利用していると聞きました。
トヨタレンタさんは今回のイベントに特典として
通常より格安料金でレンタカーの提供をされています。

注意事項やナビの使い方を説明をしてもらい
2日間借りる「ヴィッツ」でいよいよ出発します。

トヨタ・ヴィッツ
8月に来た時に寄りたかったが時間がなくて
行けない場所が2つありました。
伊吹山と彦根城(ひこにゃんにもあいたい)、
今回の計画にはもちろん入っています。

まずは今週末行われる「関ヶ原合戦410年祭」の
舞台に行きますがその通り道に
京極家菩提寺「清滝寺徳源院」があります。
ここには浅井3姉妹の次女「初」 が嫁いだ
京極高次の墓所があります。
※徳源院

ゆるやかな坂を登ると

米原から国道21号線を約13Km、ゆるやかな坂を
上がり左を見ると参道沿いに塀があり少し行くと
徳源院につきました。

参道沿いに塀があります
徳源院

横には京極家墓所の歴史が書かれた案内が
あります。

京極家墓所の歴史が書かれた案内

平成14年に本堂は再建され新しくなっていました。

本堂は再建され新しくなっていました

左へ進むと墓所の案内図があり国の指定史跡と
なっています。

墓所の案内図

白い塀の中に京極家墓所があります、くぐり戸で
文化財保護にと300円を木箱に入れ中に入ると
宝塔がいくつも並んでいます。

白い塀の中に京極家墓所があります

19代京極高次の墓は手前の石廟でした。

19代京極高次の墓は石廟
19代京極高次の墓

立派な社の中にある墓もありました。

社の中にある墓も

石段をあがり上からみた京極高次の墓です。

石段をあがり上からみた京極高次の墓

ここにも宝塔ががいくつも並んでいて一つ々の
説明が書かれてありました。

ここにも宝塔ががいくつも並んでいました

徳源院を後にしヴィッツを走らせ約10Kmでほどで
関ヶ原に、
※関ケ原合戦410年祭

観光案内図
関ヶ原合戦場の石碑

合戦の碑がある周りは田んぼばかりの
平坦な場所で遠くに山々がみえます。

関ヶ原合戦場
関ヶ原合戦場、南側

大きな幟が立ちパタパタと風になびき、戦いを思い
起こすような旗の音です。

大きな幟が立ちパタパタと

石田三成陣地跡も近くにあり関ヶ原の戦いの
案内も周りにいくつか見えました。

石田三成陣地跡
関ヶ原合戦のあらまし
関ヶ原合戦のあらまし

410年祭の横断幕でしょうか。

410年祭の横断幕でしょうか

島 左近の陣地は一段高い所に築かれていました。

島 左近の陣地は一段高い所に
島 左近 陣跡

晴れ渡った青空、秋の気持のよい風が吹いて
しばしの時、戦国武将のような気分にひたる事が
できました。

晴れ渡った青空、秋の気持のよい風が

合戦の舞台を後に頂上が見える伊吹山へ、
約18Km、車で30分ほどで行けますが有料道路で
3000円(往復)となります。
※伊吹山ドライブウェイ

伊吹山ドライブウェイは平日で交通量も少なく
気持のよいドライブです。


10Km地点での伊吹山を撮ってみました、

伊吹山10Km地点

すすきもたくさん出ていました。

すすきもたくさん出ていました

少し行くと休憩所があり
ここには俳人「松尾芭蕉」の句が刻まれた碑が
建っていました。

俳人「松尾芭蕉」の句が刻まれた碑

山頂駐車場に到着、駐車場は標高1377mの
伊吹山の1260m地点になります。

山頂駐車場

琵琶湖はカスミが掛かっていて竹生島は
見る事ができませんでした。

竹生島は見えませんでした

この西遊歩道を行くと山頂まで40分とあります。

西遊歩道を行くと山頂まで40分

夏の頃は花がたくさん咲いてきれいですと
ガイドの方が言っていました。
今はいくらか木々が色づいてきたかなといった
ところです。

伊吹山頂お花畑案内

ツーリングの男女3人の方のバイクです、
京都、大阪のナンバーでした。
大型バイクでのツーリングも絶好の時期でしょう。


ツーリング方のバイク
ツーリングには絶好の時期でしょう

米原でみた警備ほどではありませんが
ここ山頂駐車場にも警察官の姿が見えます。
パトカーも巡回しています

山頂駐車場にも警察官の姿が

休憩していたおばさんたちに聞くと
「皇太子様が伊吹山に来られているようです」と、
情報が早いですね、それで厳しい警備が敷かれて
いました。
5月に登山予定だったが雨で中止になり今回の
登山になったと後で新聞で読みました。

今日はまだ他にも訪ねるところが多いので山を
下る事に、上ってくる途中に大きな望遠レンズを
つけ三脚でカメラを据えて何かシャッターチャンスを
狙っているような人が何人もいました。

「イヌワシ」の撮影

車を止めて聞いてみると「イヌワシ」の飛ぶところを
狙っているとのこと。
話を聞いた人は奈良から来ているとか、
三脚のすぐ脇は目も眩むような谷です。
イヌワシのスポットで伊吹山は有名だそうです。

次回は姉川の合戦場へ
※近江路・歴女ブロガー旅紀行

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東京 芝・増上寺2010/10/10 20:01

徳川家霊廟
今日は増上寺御霊屋(徳川将軍家墓所)
特別公開日になっています。
霊廟(れいびょう)には六人の将軍の墓所が
もうけられており二代将軍秀忠と崇源院
(江姫)も眠っています。

昨夜からの雨も午前中にやみ、晴れ間も
のぞく天気になり近江路旅行の前に
お参りをしてきました。

浅草線大門駅で下車、西に500mほどで
増上寺です。
※東京都交通局

途中芝大門の交差点には「総門」(大門)が
あります。

芝大門の交差点の「総門」(大門)

歩道の脇には案内があり、江戸時代には
門の手前に橋が掛かっていたそうです。

門の手前に橋が掛かっていたそうです

増上寺に来ました、立派な三門(三解脱門)
です。

三門(三解脱門)

「浄土宗 大本山 増上寺」と刻まれた石柱が
建っています。

 増上寺」と刻まれた石柱

増上寺開山と三解脱門の説明

増上寺開山の説明
三解脱門の説明

少し南に下がった所には「黒門」があります。

南に下がった所に「黒門」

今日は「みなと区民まつり」で境内では
イベントも開かれていて賑やかです。
※港区観光協会

今日は「みなと区民まつり」

港区観光協会も来年の大河ドラマの
「江姫」をイメージキャラにしています。

「江姫」のイメージキャラ

パンフレットも配られていました。

パンフレットも配られていました

石段の先には立派な大殿が、

立派な大殿

お参りする人が大勢です、
ご本尊は阿弥陀如来(室町期製作)

大殿へお参り

「増上寺」の扁額(へんがく)

「増上寺」の扁額(へんがく)

光摂殿大広間の天井絵も公開中でした。

光摂殿大広間の天井絵も公開中

目的の徳川家霊廟に向かいます。

安国殿は新しく建築中、

安国殿は新しく建築中

横には西向観音、お地蔵様の前で風車が
きれいに回っていました。

西向観音、風車がきれいでした

徳川家霊廟にきました。

徳川家霊廟

霊廟の前には四菩薩像が並んでいます、
霊廟を守っているようでした。

霊廟の前に四菩薩像
四菩薩像の説明

入口にガードマンが2名いて残念なことに
今日は「写真撮影禁止」 です。

今日は「写真撮影禁止」

二代将軍秀忠の霊廟を中心とした南廟と
六代家宣・七代家継を中心とした北廟が
ありその華麗さは日光東照宮を凌ぐとさえ
いわれていましたが
昭和20年3月の東京大空襲でその大半が
焼失しました。

大空襲でその大半が焼失

確かに現在の徳川家の霊廟の広さは
建長寺で見た「崇源院(江姫)霊牌所本殿」
一つにも及びません。
想像できないくらいの広い敷地に手厚く
保護されていたのでしょう。

そんなことを思いながら二人が眠る奥の
墓所をみると宝塔が8角です。
他の徳川家の宝塔は4角でした。

二代将軍秀忠(台徳院)の宝塔は
木造だったため焼失してしまい現在の
崇源院(江姫)宝塔に合祀されています。
お墓の前には花が飾られていて隣には
小谷のラベルが貼られたふるさとの水が
置かれていました。

毎年4月上旬に行われる
御忌大会(ぎょぎだいえ)にあわせて
徳川将軍家墓所が特別公開日されますが
この時は写真が撮れるそうです。
※浄土宗大本山 増上寺

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