鎌倉・山ノ内「円覚寺」1 ― 2013/10/09 00:02
久しぶりの鎌倉、10月に入りましたが季節は1か月も
前の陽気で汗ばむくらいです。円覚寺は何度か来て
いますがゆっくり拝観したことがありませんでした。
JR北鎌倉駅、
円覚寺石段、
1282年(弘安5年)、鎌倉時代後半北条時宗が
中国より無学祖元禅師を招いて創建される。
紅葉にはまだ々早いのですがきれいなもみじが総門に
かかっています。
円覚寺扁額、山号は瑞鹿山(ずいろくさん)、
境内案内図、
桂昌庵、
入って右の掲示板に東京五輪のアベベ選手の言葉が
書かれていました。
中では弓道の稽古が行われていました。
山門の石段を上がります。
建長寺と同じような立派な山門が聳えています。
山門の案内、
大きな扁額には「円覚興聖禅寺」とあります。
山門をパステル画で描かれています。
写真を撮らせてもらいました。
山門の境内では園児らがリレー競争で歓声を上げて
いました。
松嶺院(しょうれいいん)は第百五十世叔悦禅懌
(しゅくえつぜんえき)の塔所、
庭に野草の花々が飾られていました。
先の山に上がると墓所があり坂本弁護士のご家族も
ここに眠っています。
墓誌には平成元年11月4日の命日が刻まれていました。
墓所から降りる石段の脇に咲いていた10月桜、
白く幾重にも重なった花びらがきれいです。
松嶺院は高い場所となるため仏殿もよく見えています。
続く、
※臨済宗大本山 円覚寺
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1282年(弘安5年)、鎌倉時代後半北条時宗が
中国より無学祖元禅師を招いて創建される。
紅葉にはまだ々早いのですがきれいなもみじが総門に
かかっています。
円覚寺扁額、山号は瑞鹿山(ずいろくさん)、
境内案内図、
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入って右の掲示板に東京五輪のアベベ選手の言葉が
書かれていました。
中では弓道の稽古が行われていました。
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建長寺と同じような立派な山門が聳えています。
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大きな扁額には「円覚興聖禅寺」とあります。
山門をパステル画で描かれています。
写真を撮らせてもらいました。
山門の境内では園児らがリレー競争で歓声を上げて
いました。
松嶺院(しょうれいいん)は第百五十世叔悦禅懌
(しゅくえつぜんえき)の塔所、
庭に野草の花々が飾られていました。
先の山に上がると墓所があり坂本弁護士のご家族も
ここに眠っています。
墓誌には平成元年11月4日の命日が刻まれていました。
墓所から降りる石段の脇に咲いていた10月桜、
白く幾重にも重なった花びらがきれいです。
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