紅葉の京都 Part8『豊国神社』2011/11/30 11:55

豊国神社拝殿
上の写真は『豊国神社』拝殿、

紅葉の京都も3日目(11/22火)、快晴です、
この日の夕方には横浜に戻りました。

宿の近くにも多くの寺社があり周ってみました。

『豊国神社』は明治13年(1880年)方広寺
大仏殿跡地の現在地に社殿が完成されました。
※豊国神社

大仏殿跡、
大仏殿跡

今は緑地になっていました。
今は緑地になっていました

豊国神社大鳥居、まだ朝早い時間帯で観光客は
少ないです。
豊国神社大鳥居

神社から西側の風景、秀吉を祀る神社は昨年行った
滋賀長浜にもありました。
神社から西側の風景

神社境内、
神社境内

本殿、
本殿

直ぐ北に隣接する『方広寺鐘楼』、
方広寺鐘楼

NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』も先週で
最終回を迎えましたが何回か前にこの鐘楼が
紹介されていました。
鐘楼が紹介されていました

1614年(慶長19年)、この方広寺鐘銘事件から
大坂冬の陣へと雪崩れ込むように、豊臣と徳川は
対決、豊臣家滅亡を招いたとされています。
方広寺鐘銘事件

「国家安康」「君臣豊楽」の銘文、
「国家安康」「君臣豊楽」の銘文

豊国神社の東にある『妙法院門跡』、
後白河法皇や豊臣秀吉ゆかりの寺院、
妙法院門跡

国宝『庫裏』、秀吉が大仏殿千僧供養を行った時の
遺構とされる。
非公開となっているので入ることはできません。
国宝『庫裏』

豊国廟参道、ここから1Kmほど先の阿弥陀ヶ峰に
豊臣秀吉の廟所がありますが今回は行けませんでした。
豊国廟参道

この道を挟んで南に『知積院』があります、
知積院

東山七条交差点、京都駅方面に向かう道路、
東山七条交差点

知積院の歴史、
知積院の歴史

講堂、「伝法両大会勤修」というお坊さんの試験の
ようなものが行われていました。
講堂

上り口に置かれた履物、
上り口に置かれた履物

講堂内の広間、
講堂内の広間

「浄」、後藤順一 筆、
「浄」、後藤順一 筆

「利休好みの庭」と伝えられる庭園、
利休好みの庭

名勝庭園の案内、
名勝庭園の案内

知積院収蔵庫には国の最高の名作、国宝障壁画が
納められています、桃山時代に長谷川等伯らによって
描かれ、祥雲禅寺の客殿を飾っていた金碧障壁画が
残されており見学することができました。

この後は直ぐ近くの三十三間堂へ、

続く、
※真言宗智山派 総本山智積院

ランキングに参加しています
にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 横浜(市)情報へ
にほんブログ村
↑↑ボタンをプチュとお願いします
アリガト♪(*'-^)-☆パチン

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://kanaminami.asablo.jp/blog/2011/11/30/6224250/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。