「佐藤惣之助」生誕120周年記念展2010/12/02 14:48

「佐藤惣之助」生誕120周年記念展
川崎宿は東海道の江戸から2番目の宿場町、
その上本陣「佐藤家」が佐藤惣之助の生家、
明治23年(1890年)12月3日生まれ。
現在の川崎区砂子(いさご)川崎信用金庫本店
になります。
※川崎信用金庫

佐藤惣之助の年表と東海道のミニチュア。
※佐藤惣之助生誕120周年記念展

「佐藤惣之助」年表

明治34年(1901年)に川崎小学校尋常科卒業、
その後商業見習い、4年ほどして帰家し家業を
手伝うことになります。

商業見習い

自伝には12歳から俳句を学んだとあります。

「春の港の街にて」、詩集「満月の川」(大正9年刊)
伊豆下田公園開国広場にある詩碑。

伊豆下田公園開国広場にある詩碑

大正11年(1922年)惣之助32歳の時、
5月末から1ヵ月ほど沖縄、台湾に出向き、
その後も行かれたそうです

惣之助32歳の時、沖縄訪問

「宵夏」
しづかさよ、空しさよ
この首里の都の宵のいろを
誰に見せよう、眺めさせよう
まつ毛に明星のともし灯をつけて
青い檳榔樹の扇をもたし
唐の若い詩人にでも歩いてもらはう
ひろい王城の中門の通りを
水々しい蛍を裾にひいて
その夏服を百合の花のやうに
この空気に点じいだし
さて、空しい空しい
読めばすぐ消えてしまふやうな
五言絶句を書いて貰はう。


「宵夏」の詩碑

所在地 那覇市首里赤平町 虎頭山公園内

惣之助は沖縄に対する深い関心と愛情を
寄せていて、詩碑は昭和34年、川崎市民の
名で沖縄へ贈呈されたものです。
琉球大学敷地内に設置されていたものを、
首里城復元にともない平成2年(1992年)
現在の場所に移されています。

沖縄での経験は琉語を多用した
「琉球諸嶋風物詩集」となって
同大正11年(1922年)発行されています。

惣之助は釣りもたいそう好きで釣りのために
全国各地を周り釣りに関する著書も7冊を
数えます。

惣之助はたいそう釣り好きでした

花枝夫人が亡くなった(行年41歳)昭和8年
(1933年)後は歌謡曲の作詞を始めます。

歌謡曲の作詞を始めます

作曲家「古賀政男」とのヒット曲も数多くあります。

作曲家「古賀政男」とパリでの写真

「赤城の子守唄」(昭和9年)の歌碑、
歌手は東海林太郎。

「赤城の子守唄」(昭和9年)の歌碑

現在の阪神タイガースの球団歌「六甲颪」は
「大阪タイガース」の歌として昭和11年、
球団創立時に発表されました。


阪神タイガース球団歌「六甲颪」
阪神タイガース球団歌「六甲颪」

高峰三枝子の歌でヒットした「湖畔の宿」
(昭和15年)の歌碑は榛名湖畔の記念公園に
あります。


「湖畔の宿」の歌碑

ここは4年前に伊香保温泉旅行で立ち寄った
思い出の場所でもあります。


近づくと「湖畔の宿」のメロディが流れます

ガラスケース内は詩集、句集、随筆集、雑誌
などが展示されていますが撮影禁止となって
いました。

ガラスケース内には詩集、句集などが

昭和17年(1942年)5月15日死去、
享年51歳でした。

昭和17年(1942年)5月15日死去

川崎駅近くの「アートガーデンかわさき」で
12月5日(日)まで開催されています。
※「アートガーデンかわさき」

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